Biography

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Jun Hiraoka

Freelance photographer based in Los Angeles
He was born in Osaka, Japan in 1972. At the age of 20, he moved to the United States and studied photography at Santa Monica College.
After he graduated, he started his career as a sound engineer for Japanese TV production and traveled around the world.
In 2000, he decided to become a freelance and started his professional career as a photographer at the same time.


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「アメリカンドリームを手に入れる」と両親に伝えて大阪府豊中市からアメリカに単身で乗り込んだのは、20歳、1993年。英語を話せなかった僕がサンタモニカカレッジに入学し、写真家になろうとは当時は夢にも思っていなかった。
具体的に自分が何になりたいのか分からず焦る日々が続く。
ある時、写真の授業を受けている同級生から、「写真って、楽しいよ~!」と勧められ、試しにクラスを受けてみる。
けれど、授業は全て英語で行われる為、ついていけない。
現像(Development)、露出(Exposure)、彩度(Saturation) など難しい写真用語に出くわし、課題の意味すら分からない。
夢と希望を持って渡米したものの、待っていたのは厳しい現実だった。

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ある日の授業で作品発表をした時、檀上で教授が「とってもテーマのある作品を撮った人がいます」と言うと、真っ暗な部屋に突然、僕の写真がスライドで投影された。その後、教授がなぜ褒めているのかを理解できなかったが、その時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。明るくなった教室でクラスメイト全員が僕に集まってきて、「あれはどうやって撮ったの?」「シャッタースピードはいくつで撮ったは全て英語だったので正しく伝えられたかは分からない。解ったことが一つだけあった。「心がこもった写真は言葉を超える。」
写真は、世界中どこにいても、誰とでも会話ができる。
「写真家になりたい」と思った瞬間だった。その後20年を超えて、大好きなロスで生きれたのは、「写真」が僕を支えてくれたからだ。僕は、本当に幸せ者だ。

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卒業前から写真家としての仕事を探していたが、VISAスポンサーになってくれる人には、めぐり会えない。そんな時、知り合いからの紹介で、日系テレビの技術会社に面接に行った。
「私も昔は、写真カメラマンだったけれど、動画の世界に魅了され、写真から動画に転向した。写真は動画の一コマとも言え、広い意味で同じ映像。我が社に入って、映像をやってみるといいよ。仕事に支障が無い程度に、写真も撮って良いから」と面接官の言葉で、動画の音声マンとして働き始めた。一年の半分以上が出張で世界中を飛び回り、ドキュメンタリー、ニュース、コマーシャルやミュージックビデオなど、ありとあらゆるジャンルのロケをやった。「こんなに面白い世界があるのか」と驚き、5年勤めた。
その後、独立。フリーランスとして活動を始めてからも、未知なる世界に恋焦がれる。次第に新たなる世界への好奇心が増していった。「プロの写真家になり、僕が見たものを世界中に伝えたい。」
感情を抑えることが、もはやできなくなっていた。

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そんな折に、日本のゴルフ雑誌からアメリカのPGAゴルフツアーを、一年を通し追いかけて欲しいという依頼が来た。“写真家”を名乗り始めたタイミングだったので、まるで「天の定め」に思えた。
気がつくと、メジャーを含める大会を7年間に渡って撮影していた。月曜日に飛行機で移動し、火曜日の練習日から撮影を始め、日曜日に優勝者が決まると、また次の試合会場に移動…の繰り返し。
アメリカはとにかく広大だ。見知らぬ所での運転はもちろん、何もない砂漠を時差をまたいで長距離移動。
タイガー・ウッズは夜明け前から練習を始めるので、朝4時起きが日課になる。
試合が終わればメディアセンターに戻り速報ニュースの写真をすぐに日本に送る。終わった頃には夜10時を回り、夕食を済ませようと外に出るも、レストランはどこも開いていない。あのマクドナルドですら。笑。涙。
ホテルに戻るのは深夜で、食事を取る気力も無く、ベッドに飛び込むだけだ。けれども、どんなに疲れても、機材のチェックだけは欠かせない。また、明日(今日)、夜明け前に出発だ。
気がつくと部屋の電気をつけっぱなしで、パソコンテーブルに座ったまま寝落ちしている。こんなハードな撮影が続いたからこそ、プロとはなんたるかを自覚する。「本番で自分の力を十分に発揮する為の準備を怠らない。」が、しっかり叩き込まれた。

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ゴルフのシーズンオフでロスにいる時に、「商品撮影」の依頼が舞い込んできた。コマーシャルフォトグラファーの経験が無い私に、「試し」を兼ねた、ありがたいオファーだった。
「物撮り」の世界は、「スポーツ」と違って、動かないから大丈夫だろう。
それが大きな過信だったと理解するのに時間はかからなかった。一週間過ぎても、一カットすら撮れない。表面がツルツルの鏡仕上げの商品だ。ファインダーの中に、カメラと自分、照明機材、天井、床と全てが写り込んでしまう。どうやって撮ったら良いのか、全く、見当もつかない。こんなにも難しい世界がある事を知り、気付くと深夜まで試行錯誤が続く。苦しいが、新しい世界にワクワクしている自分がいた。そして今では、これが得意な撮影分野となった。

nyankogoodlife現在、スポーツ選手、ハリウッドで活躍するアーティストのインタビュー、旅番組のロケ同行から、ヘッドショットまで様々な撮影に柔軟に対応。誰もが簡単にSNSで情報を発信できる時代にあって、「どうせなら綺麗な写真を撮りたい!」と言うニーズに応える。

teamnyankoアートディレクター、フードコーディネーター、ヘアーメイク、衣装さんらと、チームを組んで行う撮影の楽しさも知る。今後は、様々な分野のプロフェッショナルな人たちともコラボし、一つの撮影に関わる人を徐々に増やし、より大きく、複雑な要望に応えられるよう準備中。

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愛車は、1973年型ワーゲンバスのキャンピングカーだ。
たくさんの機材も積め、クライアントの会社にスタジオセットを組む撮影を得意とする。年代物なので手はかかるが、バスのエンジンをかけた瞬間、世界がスローダウンし、「何が自分に最も大切なのか?」を、気づかせてくれる。ただの交通手段ではなく、相棒である。撮影キャンプに出かけ、星空の下で焚き火しながら、太古、昔から変わらない人間の営みに想いを馳せたりする。

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アナログ、ネガフィルムで撮影していた頃、暗室に毎日10時間こもり、プリントに没頭した。ダークルームでプリント作業は、ネガの暗部からハイライトまでの階調を最大限に引き出す、色に惑わされない「モノクロ」白黒写真に惹かれた。
デジタルに移っても、「被写体が最も魅力的に見える光を選び、エネルギーを最大限に引き出す色を表現する。」
これが僕のこだわりだ。

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写真家・フォトグラファーに大切な心構えは、
「しまった!、撮り損ねた」と失敗を感じても、すぐ開き直り、冷静にファインダーを覗き続け、次のチャンスが来るまで、被写体から目を逸らさないことだ。失敗したと思った直後、真のシャッターチャンスはやってくる。偶然のような、必然的なチャンスに何度救われてきたことだろう。それこそ写真の魅力であり、苦労多き写真人生を続けてこれた、最大の要因だ。
写真家になるのに、10年以上、回り道をしたが、今ではその全ての経験が、どれも欠かせないこと。その信念が、今の自分を支えている。
「プロの写真家になるにはどうしたらいいか?」と尋ねられれば、こう伝えたい。
「めげないこと、真のシャッターチャンスは必ず、いつかやってくる。それを信じ、被写体から決して、目を背けてはいけない」

平岡 純

ロサンゼルス在住、フリーカメラマン。
1972年、大阪府豊中市に生まれ。
20歳、1993年に渡米。
サンタモニカレッジに入学。
英語が喋れなかった為、講義でかなりの遅れをとる。
その後クラスメイトと、まともにコミュニケーションが取れない日が続く。
ある日、彼の作品がクラスで話題の的になったことから、彼の周りは一変する。
「写真は言葉を超えて世界と通じ合える」事を学び、その道を切り開き、現在に至る。
‘96年に同大学を卒業後、ロスのテレビプロダクションに入社。
サウンドエンジニアとして働きながら、写真家として活動。
後、フリーとなり本格的に、プロフォトグラファーとして活動を開始。
’09年、米ゴルフツアー/PGAツアーに同行。
’12年、ジャニーズの山下智久をフィーチャーしたテレビ番組
『山下智久・ルート66~たった一人のアメリカ』
フォトグラファーとして参加し、ポスター、番宣、写真集を出版。番組の成功を導く。
後、東京青山にある、複合施設「スパイラル」で、ルート66の写真展を開催し、その後4組の若手ジャニーズの世界を旅する番組に関わっている。(キスマイ北山インド横断、Hey!Say!JUMP、フランス横断、タッキー、チリペルー4800キロ横断、ABC-Z オーストラリア横断)
近年、様々なジャンルのアーティストとコラボし、動画を含め、写真だけに囚われない創作活動を発表。
後進のアーティストの育成にも力を注いでいる。